趣味への入り口2

私が習い始めた頃はピアノの先生というと若い独身の女性が当たり前だったので、

途中で結婚して他所へ行ってしまう人が多かった。

私は小学生時代で4人の先生の所へ通った。幸いどこのお宅も割と近場だったので

自転車で毎週、休みたくても休めずせっせと通った。

最初から、それなりに弾ければいいという程度の気持ちだったから、優しい先生に代わってからは自宅での練習もそこそこになり、教本の進み具合も遅くなった。

でも、辞めるという選択は許されなかったので取りあえず通っていた。

2人目の先生はスレンダーな色白美人で対応も柔らかく練習はどうでもよかったけど

通うのは苦にならなかった。それにその先生が音大か高校かで同級生だったのが

私がその時好きで好きでたまらなかった売れっ子アイドル歌手で、クラス写真に一緒に写っているのを見せてもらうのが楽しくて仕方なかった。

その先生のお父さんは個人病院をされていて、息子さんが医大生でたまに帰宅されているようだった。ある日いつものように裏口の門をくぐってピアノのある部屋の前の庭を通っていたら、その時代の流行歌がピアノで力強く奏でられていた。ピアノの音色と聞きなれたポピュラーなメロディーがうまく相まって、何とも言えない衝撃をうけた。簡単に言うと「わああ、カッコイイ」ということかな。

あの美人の優しい先生が弾いてるんじゃないだろうと子供心にも感じた。

こんにちは、と言って部屋をのぞいたら見知らぬ男の人がピアノの前にすわっていて

かっこいい演奏をしていた。「あ、今日レッスンだったのね?ちょっと待っててね」と言っていつもの美人先生と交代した。

先生は「びっくりしたでしょ、あれ弟なのよ。大学が休みで帰省してるのよ」と説明してくれた。私は、医大に行ってるのにあんな風にピアノも弾けるんだ、ということに

また衝撃を受けた。あんなかっこいいピアノ演奏できたらいいな。そんなことを思った。

 

 

趣味への入り口

幼稚園時代、オルガン教室が流行った。

通っていた幼稚園で教室が開かれていた。

女の子は皆憧れていたと思う。私もそうだった。

ちゃんと習わないと鍵盤を片手で適当に押してみるくらいしかできないから、レッスンを受けて、皆で歌う童謡を両手で弾ける子は注目の的だった。

私の祖父はそんな気持ちを察し孫可愛さに、小学生になったらすぐ

なぜかピアノ教室に通わせることにした。

たぶん、オルガンよりもピアノのほうがステイタスみたいなところがあったのではないかなと今思っている。

肝心の私は、憧れてはいたけれど、遊び半分で弾ければいいくらいにしか思っていなかったので正直毎週通うのは勘弁して、という気持ちだった。

でも、逆らうことなんて到底無理で仕方なく週1回ピアノの個人教室に通うことになった。

 

その教室は独身の若い女の先生が自宅で教えてくれる、ちょい古い民家だった。

この先生が結構キツイ性格だった。

何の楽器でも弾きこなすのは相当難しいもので、ピアノも、何度弾いても同じところを同じ指で間違って押してしまう。

そうするとその先生、「またそこ押したじゃない、その間違って押す薬指は切り取ってしまいなさいよ」とヒステリックに叫ぶ。

幼い私は恐怖に震えた。それに幼稚園の、あの花々に囲まれたような雰囲気のオルガンレッスンとのあまりの落差に教本の音譜も鉛の玉に見えた。古い民家だったので部屋も少々薄暗い印象があり、ますます気持ちは落ち込んだ。

けれど、大人しい性格で逆らうことのできない私は、赤いバツ印のついた鉛の玉の部分を自宅でも一生懸命練習した。

自宅で練習用に買ってもらったのは、なぜか電気オルガンだった。

あの頃いっせいに売り出していたからかピアノを買うには予算が足りなかったからか、

私はどうでもよかったけれど。

 

子供達よありがとう

もう子供達は独立しているので今更教育の仕方を考えることもないけれど。

時間もあった私は子供たちが小さい頃からおけいこ事、スポーツ教室、塾と

いろんなところへ通わせてその送り迎えで慌ただしかった。

もちろん、子供自身がやりたいと言うからで、強制したつもりはない。

 

親ばかとはよく言ったもので、幼稚園時代まではちょっとした漢字が読めたり、

暗算ができたりするとひょっとして東大にも行けるんではないかい?みたいな妄想を描いたり、お絵かきでナントカ賞をもらってくると、東大やめて芸大目指すか~?

なんて自分の子供だということをすっかり忘れて喜ぶ。

小学生になり通知表を持ってくるようになってだんだんと、目指すレベルを

下方修正する。そして高校生にもなれば、取りあえず行ける大学に入れちゃおう。

ということで収めることになる。

あくまで私の子供のことで私の友人の子供は皆優秀でこの地域ではナンバーワンの高校や大学に入った人も多い。

 

私の子育ての時代は専業主婦と働く主婦が半々くらいで、まだ子育てするには

無理して働かないほうがいいというような風潮もあった。

帰宅時に母親が家にいないのは可哀想とか食事が出来合いのものに偏りがちとか、

自分もそんなことを思っていたから専業主婦でいた。

でも、たいしたことはできなかったんだ。

働いていようと専業主婦でいようと、同じなんだなと今は思う。

一生懸命誠実に日々を送るということが大切なんだ。

そしてなぜ、うちの子は勉強嫌いになったのか?親がそうだったからだろうか。

大人でも子供でも自分の興味のあることは集中して話を聞くし、自ずと復習もしている。あれだけ教科があるのだから、一つは興味持てることがあるはずだ。

それに気づいてその芽を大切に育てることができなかったからなんだろう。

全ての教科まんべんなく成績を上げるよう強制してたのだ。

もう過ぎたことだから仕方ないといえばそれまでだけれど。

一筋の何かを探す手助けをするのが親の役目なんだと、終わってからわかったという

あほな話でした。

 

笑顔が眩しい、幼い頃の我が子の写真を見ていた。

 

現状維持はよいのか?

生活という言葉を調べてみた。

生きながらえるために行うさまざまな活動、らしい。

そういわれればそうだと思う。

まず、食べることは必然だし衣服も体を守るためには最低限必要。

外でそのままは寝ることも出来ない。

これを確保するために仕事をして給与をもらう。

私は長年専業主婦なので給与は夫が持って来る。

お金を稼がない分、家事はぬかりなくやれよ、と無言の圧力がかかっている。

でも、私は優等生な性格だけどほんとの優等生のように身を粉にして働くことができない。要するに、ただのズボラな性格。

家事をやる時間は潤沢にあるのだが、その家事を適当に省略して

もっと時間をつくりママ友とランチに行ったり、

趣味を持たなければ自己実現できない、なんてことを思って絵や生け花を習ってみたり。そんなことで忙しくしているから、ますます家事は手抜きになる。

幸いなことに、夫は私に圧力はかけているがそう神経質ではなく、多少部屋が散らかっていても日々文句を言いつ続けることはない。

でも私は毎日ストレスと戦っている。

姑だ。

大正生まれで大人数の兄弟の長女で育ち、彼女の夫には若くして先立たれたので

苦労が多かったらしい。

そんな親子の中に私のようなズボラでお気楽な女が入り込んだものだから、

そりゃ、彼女の物差しから大いにはみだしているだろう。

私は牢獄で監視されてるようで堪らない。その上遠まわしな嫌味で口撃される。

ますます私は外へ出る。家事は手抜き。この公式が出来上がってしまった。

こんな生活も永遠ではないとわかってるつもりだが、

今はこんなもん。

 

 

 

 

中二病がなおらない

あの頃、希望に満ちていた。

具体的なことはわからなかったが、未来は虹色に輝いていた。

そんな風に感じていた。

何十年も前の田舎の女子中学生。それでもファッション雑誌やマンガ雑誌は当たり前に読めたし、休み時間の友人との話題は人気のテレビ番組やアイドルのこと。

流行りのアイドルの振付を真似て踊ったりもしていた。

勉強はそう好きでもなかったが、小学生時代からそこそこ良い成績で、

その延長なのか、中学生になってからもそれなりのものだった。

田舎だから生徒数も少なく、中間試験や期末試験の前に少し集中して復習すればなんとかなるレベルだったのだろう。そこを変な勘違いをしていたようで、自分はこんな田舎で女性蔑視されながら、一生送るなんてごめんだ。

東京の大学を出て何か高収入を得る仕事を持ちたい、と思っていた。

それもクリエイティブな仕事を。

 

田舎の娘が田舎をばかにしていた。

 

小さい頃からおとなしいほうで、親や大人の言いつけを素直に守る優等生な性格だった。だから小学生時代は学級委員は毎年必ず、担任の先生から職員室に呼び出され特別にご褒美をもらったりした。中学生になってからも学級委員はもちろん生徒会長にまで立候補した。ちょっとしたエリート気分だったのだ。だからそれが知らず知らずに表面に漏れ出してたのだろう。嫌な感じだったと思う。

そんなもんだから、友達は少なかった。

もちろんボーイフレンドなんて皆無。

交換日記が流行っていたけど、女友達とはしても男子としたことはない。

好きな人もいたが、あの頃一世風靡していた「両想い」にはなれなかった。

今思えば、こんな可愛げのない女子に「両想い」なんて有りえないことだったんだ。

貴重な女友達にも、生意気な私と仲良くしてくれて感謝しないと罰が当たる。

そんな勘違い中学生な私が大人になり、田舎で結婚し子供を育てた。

未だに何かを勘違いしているのかもしれないが、それが何かわからずにいる。

 

 

 

 

 

マネーまねーmoney

今日の鶯の声はとても可愛らしい。

まだ練習中のようで、途中でリズムが変わってしまう。

 

私の貯金のリズムも変わってしまった。

ジャムの空き瓶のコインは、何かの集金の時におつりがないと言われ、

1円単位であわせて支払っていたらあっという間に残り数枚。

それに、財布から入れるのを忘れてしまう。

こうなったら、お札に挑戦だ。

二日に一回千円なら毎日500円と同じだろう。

でもお札の貯金箱なんてないし、ノートに張り付けるわけにはいかないし、

100円ショップの茶封筒では味気ない。

銀行に千円を入金するために足繁く通いたくもない。

で、財布の中での場所移動ということにした。

けれど・・・。

三日坊主という言葉があるが、こんなに痛感したことはない。

いや、私の場合は三日すらもたなかった。

一日半。情けない。

 

結局、入ってくる金額が足りないのではないか?

やっぱり収入が増える工夫をするしかないのか?

 

いやいや、貯めるのはあきらめる、使うのをやめよう。

節約節約。これだ。

まず食費。お高い食材は買わない。

スーパーへは安売りの日のみ出かける。

安い食材を使い回して手作りする。

なんだかんだ出来ることは沢山あるじゃないか。

よしよし、イケるイケる。

 

ここでふと気づいた。

え~、今までの暮らしと同じじゃない。

私は、あがいてももがいてもどうしようもないのかな。

 

平々凡々な一日がこうして過ぎていく。

 

 

 

 

マネーまねー

そういうことで、私はコインを貯めることにした。

理想は毎日500円。気が付けば10万円が貯まってた。

なんてことを想像して、にやにやしながら。

でもこれが結構たいへんなんだ。

理想は毎日財布の中に500円硬貨があることなんだけれど、

それがなかなか思うようにはない。

なら100円。これも以外と毎日は、あるようでない。

それに貯金箱は一種類の硬貨で一杯にしたい。数えるのもラクだし。

たまに500円硬貨が2,3枚財布の中に・・・などというときは

欲張って一度に貯金箱の中に入れてしまう。

 

そういうことを繰り返すと、今月はなんか足りないな~となり、

貯金箱が一杯になる前に、泣く泣くそのコインをジャラジャラと

テーブルにばら撒けることになる。

そして一つ一つ数えて、え?たったこれだけかよ?と落胆して終わる。

それに貯金箱を買ったぶんマイナス。

 

過去、何度思い立ちこのような結末になったことか。

また同じ轍を踏むのか私?

今度こそは、轍のルートを変えなければ。

 

そして決める。

もう貯金箱を買うのはやめる。

一種類の硬貨ということに拘らない。

今、ジャムの空き瓶にランダムな種類の硬貨が入っている。

1円10円が多いような・・・。

 

あ、今日も鶯の声が。癒されるな~~。